人生つまらないと検索したら面白い人生が始まるのか?

【日常と思ったこと】, エッセイ・哲学エッセイ, 人生

ご無沙汰しております。初めの挨拶が毎回それってどうなんだ。自分のブログでありながらこの幽霊部員っぷり。

さて私はたまにサジェストを見るという趣味があるのですが、今回は人生がつまらない人の人生を面白くできるかもしれない記事を書きたいという試みです。かもしれないという予防線を張っているのは結果が乏しく自信があまり感じ取られずに良くありませんが、つまらないと検索する暇があるなら貴方はこのブログを読む暇を惜しむ様な人間では無いという事ですね。少しお茶しませんか。

なぜ人生はこんなにもつまらないのか

検索する前に自分で何故つまらないのか考えましたか?考えずに検索しませんでしたか?それでしたらいっそスマホをゴミに捨ててください。特大ブーメランを投げて返り血を浴びせていますが、スマホが無くても死にません。多少道に迷ったり職場に連絡できなかったり、スーパーで特売の野菜が分からなかったり天気が検索できなかったりするくらいです。不便だな。やはり封印する程度にしておこう。

朝起きて支度して適当な菓子パン食べて仕事して帰ってきて疲れて飯もそこそこにスマホと酒を片手にベットへもぐり「人生 つまらない」って検索したりしながらまた次の日も同じことを繰り返す。ですが朗報です。おめでとうございます!貴方は気が付き始めています!そうです!人生はつまらないものなのです!

そんなことが知りたくて検索したんじゃありませんよね。つまらない理由と意味を知ればつまらなくなるかもしれない。では明日会社に辞表を出して起業しなさいと得体のしれないブログに書かれていたら貴方は起業しますか?恐らくしないでしょう。

どうしてやらないのでしょうか?人生がつまらなく無くなりたいと願っているのに少し早起きしてカメラ片手に散歩に出ることも無く、いつもと違った道で通勤することも無い。そんなことしたって面白くない?面白いか面白くないかを決めているのは貴方の脳ですよ。貴方の脳は人生がつまらない理由について考える事さえ他人に頼り放棄している状態です。

ですが別に病気でもなんでもありません。疲れからくるのは多少あるかもしれませんが、人間は本来怠惰な生き物ですし、怠惰だからこそ文明が進化し便利なものが生まれていったのです。

疲れているなら明日一日仮病でも何でも使って学校や仕事を休みましょう。家事をさぼったっていい。もっと休みたいなら生きていくために必要最低限のお金を得られる職について変わりに時間を得てもいい。つまらないと思う貴方は多分こう考えている筈です。「もっと時間があれば」「もっとお金があれば」「もっと違う容姿に生まれていたら」「もっとやりたいことがはっきりしていたら」

たられば炒め特盛丼から生き方を学ぶ

ここまでくれば簡単です。そのたらればをどれか一つ解消するために生きてみましょう。

一遍にやろうとしてはいけません。どれか一つです。お金ならあまり高すぎない貯金目標額を設定しましょう。時間なら転職を考えましょう。容姿はお金のかからないダイエットや肌質髪質改善から努め、それでもだめなら整形しましょう。やりたいことが無いなら一日ひとつやってみるともしかしたら人生が楽しくなるかもしれないリストと言うのを私が作るのでそれを1からひたすらやってみてください。怠惰な私を待てない人は、自分のやりたいことが何か知るために今すぐスマホのメモを開いて自分でリストを作りましょう。リストを作るのにも時間がかかっています。

それをつまらない時間と感じるかどうかはあなた次第ですが、つまらないという事はつまらなくない事があるということ。そうしてそこへ向かうまでが途方もなく長くやる気を失ってしまっている状態であること。そうしているうちに人生はまもなく終わります。

ですが死後の世界があったとしてもそう都合よく異世界転生のなろう系小説のようにはなりませんし、富も名誉も功績も何一つ死んだら無意味です。それでも生きている間は楽しい人生を送りたいと思うなら次はやりたいことのやり方を検索するべきです。

簡単な事です。このブログを読むのをやめて「○○ やり方」で検索するだけでいいのです。

無意味に人生を消費することは悪なのか

答えはノーです。何者かになった人も何物にも慣れない人も世の中にはたくさんいます。ですが皆さん幼稚園で将来の夢を聞かれる際にその二組に分けられることはありません。(その時の回答が大人になった今違ったものだったとしても)全員に平等に「やりたいことはなんですか?」という問いが投げかけられたはずです。

しかしそこから人生の紆余曲折を得て大小さまざまな理由で何者かにならない選択を迫られたもの、または日々なんとなく生活しているうちにそうなった者、努力しているが報われないもの…と一人また一人と何者かを応援する側に回ります。でもそれでいいのです。それでいいと自分の中で折り合いが付けられるまでにも時間がかかるでしょうが、受け入れてしまった方が楽になれることだってあります。肩の荷を降ろした方が生きやすいが、降ろした荷物にしがみつくのもまた人生です。

何者かになれなくても、自分が楽しいと思えることをやっている人間はいつでも魅力的で活力に溢れています。他人の幸不幸を推し量ってはいけませんが、何者かになれたとして、その状態を楽しめなければ何者でもない人より不幸であると言えますし、逆も然り。全てが完璧にうまくいっている人間なんていません。ライブや旅行へ行くなどのつまらない日々があるから楽しめる物事だってあります。

つまらないとはどういうことなのか

よく使われるつまらないの使われ方として、「この遊びに飽きたからつまらない」「あの人の話はつまらない」「仕事がつまらない」あたりが挙げられるでしょうか。

「つまらない人間」とかもありますね。ではつまらないとはどういうことか?退屈ということです。ではなぜ退屈だと思うのでしょうか。

例えば明日食べるものが無くて入手すら困難であるとしたら貴方はきっとどうやって食べ物を確保するかという事を考えます。それはきっと退屈ではないでしょう。つまらないなどと言っている暇もない。つまるところこの「退屈である」という悩みは結構贅沢な悩みであると捉えることができます。贅沢な悩みだから悩むことをやめなさいなんて釈迦みたいなことは言いません。贅沢な悩みであるならばそれを深く考える余裕もあるということです。

深く悩めと言いましたが人間には寿命があります。memento mori(メメントモリ)と言う言葉をご存じでしょうか。西洋美術史を学んでいる際に知った言葉ですが、簡単に訳すと「必ずいつか死ぬから、今を楽しもう」といった言葉です。

今どんなに頑張っても死んだら同じ、だったら頑張る意味も無い。それはごもっともです。人生に絶望していない人間は最終的に全員不老不死を望みます。ですが頑張っても頑張らなくても死にます。楽しんでも楽しまなくても死にます。これだけは覆りません。さらに死はいつも突然やってきます。良いタイミングなんて待ってはくれない。

つまらないと感じたら絶対に死ぬというのはとりあえず忘れて今自分が持っているものに目を向けましょう。いやいや、さっきのメメントモリのくだりなんやってん!って感じですが頭の片隅に置いたまま一旦忘れましょう。

たとえば毎日食べているもの。一日ひとつ違う商品を手に取りその味の感想を日記にしてみるのも立派な暇つぶしです。ソーシャルゲームをやってもつまらない。それでしたら本を読むのはどうでしょう。作る側に回ってみても良いと思います。

おおよそ退屈ではない事をやろうとするのは大変に労力のかかることです。

それらの積み重ねが人生です。

人生とは壮大な暇つぶしであるとどこかで聞いたことがありますが、その通りだと思います。まず自分が何故つまらないと感じているのか?をGoogle検索せずに考えるところから始めましょう。ルーティーンをやめること、それが人生を面白くする第一歩です。

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