負債になる人間関係と資産になる人間関係

いつもブログは朝に少し書き出して、仕事をして帰ってきてまた書いて仕上げるみたいなスタンスをとっているのですが、今日は早起きしたものの考えることが多くて筆があまり進みませんでした。笑
今日はこんなお話。
前提として、友人知人を別に資産(言い方死ぬほど悪いな…笑)かそうじゃないかで剪定してるわけではありません。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、それでいいじゃないという話です。
居心地のいい場所と悪い場所
とにかく人の顔を見て謙虚に生きていた中学時代、自分を表現することを覚えた高校時代、そこからあまり変化しないまま生きることに必死だった学生時代と社会人生活、そして夫婦生活を経て今また転換期にあります。
それは人間関係も整理するものだと学んだという事。
今まで本当に恵まれた環境で育ち、本当に心から悪い人なんて存在していないと思っていました。
良く言えば箱入り、悪く言えば世間知らず、とにかく人の子である以上みんな最後には美しい心は持ち合わせていると本気で思っていましたし、今でも少しそう思います。過信ですね。
実際には第一印象としっかり話し込んだ後では第一印象で損している人や得している人、いろんな人がいるけれど心の根底のもっと奥深いところにある根幹をなすものは変わることはありません。
変わらないものは変わりませんって書こうとしていやそれ小泉文法になってるよ!!って一人で突っ込みいれてやめた。
ま~要するに居心地のいい場所だけを大切にしようって話なんですが。
たまに居心地が悪い居場所も良い居場所もどっちも大事にしなきゃ!!って頑張っている人がいたりして、また世間ではそれを美徳とする風習があったりするので「やめてしまえばいいのに」って思うけど、その人にとっては失いたくない大切なものかもしれないと思うと気軽に口をはさめなかったりして。
でもブログは個人の基地ですから、読み手が自由に読むか読まないかを選択できる場所なので私も私で書きたいことをここに書いてしまおうというわけです。
ドキッとしたら知る事を恐れずに読んでほしい。そして心に武器としてそっと閉まって、何かを選択する局面になった時に手に持って考えてみてほしい。それを選択することも勿論本人の自由なので。
人間関係とは常にグレーなものである
良いことがあったので報告したけど嫉妬されたとか、仲いいと思ってたら裏でこんなこと言われてたとか、なんかちょっと居心地悪いな~とか、うまく利用されたりとか、馬鹿にされたりとか。
言葉では喜んでいるけど、端に棘が仕込まれてたりとか。
刺さると痛いんですよね、あれ。
刺した方は痛くないけれど。
人間ってこんなに高機能な脳があるのに自分の事すら自分でうまくコントロールできないんですよ。
一つ目を例に挙げるならば、喜ばしいことなので世間的にもそうなので喜んでいる言葉をかけるが、内心はとても悔しいので目は笑えないし言葉に棘も毒も仕込んでしまう。みたいな。
要は感情って、脳が生存本能に従って下す命令的な感じなので常に他人と争っていて他人を気遣う余裕のない人がこうなってしまうのは最早仕方のないことなのかもしれません。
心から他人に素敵だねって言えるのは自分にたくさんのものを持っていて分け与えられる満たされた状態の人だけなんです。
また、1対1であれば問題の無い個人も集団に帰属することにより認知的不協和や同調行動、また競争心からそういったことを言ってしまう人もいるようです。
これらの最も平和的な解決には、問題の個体が自分に対しての自信を獲得し他人と競う必要がなくとも私は存在してもいいという事を認識するまでの時間を用します。自己肯定感の基盤となる、本来親からもらうべき部分です。しかし後付けでも問題はありません。
故に集団での人間関係は常にグレーであると私は考えています。
白黒はっきりさせたい気持ちは分かります。裏切られたくはない。しかし人間関係そのものを白黒はっきりさせてしまうコミュニケーションは焼畑農業です。
受け入れられないところは無視してしまってもいいと私は考えます。
ただし誰かの期待に応えるために生きるのはやめましょう。
「悪い部分を垣間見てしまったが、とりあえず考えないようにしている」という人を私は思考停止であると罵ったりはしません。
私はいつも居心地が悪いと思った相手とは少し距離を置きます。
そうしているうちに、本人に伝えてみようという心積もりができたり、自分の中で許そうと思えたり、思えなければそのまま完全に縁を断ち切ってしまっても言い訳ですから。
時間が解決することもあるのです。
強くあれが呪いにならないために
それでも何かに依存しなければ生きていない人もいます。
この世に神話が訪れた時から、また宗教が出来上がったその時から、人はいつでも因果応報を他力本願。印踏んで…無い。残念。
全員が全員果敢に挑戦できる人間かと言われたらそうではありません。
そしてそういう人こそ、今自分が立っている場所を過小評価しやすいので周りにカモられてしまうのですよ。
「私はこれを失ったら何も持っていない、生きていけない」
それは他人の評価が下がることを恐れているだけの話です。
独りぼっちだと恥ずかしい奴、問題のあるやつみたいに思われるかもしれない。そして何より寂しい。
ここにいると自分も強くいられる、嫌われると怖い、まあこの手の不安商売は言い始めるとキリが無いです。
これって結局「自己本位」じゃないからなんですね。
人の意見を鵜呑みにしたり、誰かのしていることをひたすら真似してみたり。この人が言うなら間違いない、なんてものは存在しません。私も含めて。
少し趣旨からそれますが、自己本位については夏目漱石の「私の個人主義」という講演を本にしたものを読んでみると良いかもしれません。
人格と権力と金力についての夏目漱石の哲学です。正しい権力者になるには人格がしっかりしてないとつぶされるぜ!みたいな内容ですが、ここでは人格の部分にだけフォーカスしています。
夏目漱石が言うには、他人を語りどんなに褒められても手もなくクジャクの羽を身に着けて威張っているだけで、浮華を去り摯実につかなければ自分の腹はいつまで経っても安心はできないと。
自己の個性の発展を成し遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないと。
また、義務心の無い自由は自由ではない。他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支無いくらいの自由は誰でも把持し、他人にも付与しなくてはなるまいと、それが個人主義であると。
—-引用「私の個人主義」青空文庫
もうね~~!!オタクすーぐ「全人類読んで!!」っていいますけど全人類読んで!!って感じです。
自己本位とはつまり、物事の中心に自分を据えるということです。
自己中心になれという意味ではないですよ!
個を知り他を知り、取捨選択するための自己本位です。
この自己本位がしっかりと確立した人間というのは、何かに縋りつく必要がなくなるため、より健全な選択肢を選ぶことができるようになります。
例えば、壺を売る占い師しか話してくれる相手がいないから彼女が右を向いているように私も右を向くために壺を買おうという選択肢を取らなくて済むわけです。これは黒の関わり方。
彼女は右を向いて壺を売ってるけれど、私は左が良いと思うから左を向こう。壺はいらないので、そういったものが抜きの関係にしよう。これがグレーの関わり方。
彼女は壺を売っているので、悪い人だ、縁を切ってしまおう。これは白の関わり方です。白の関わり方は悪くはありません。最後にはこれを選ばなければならない時もあるでしょう。
居心地がいい場所だけ、資産になる友人だけを選ぶには、この取捨選択が行えるほどのある程度の強さが必要になります。
逆に言えばここだけしっかりさせておけば後はなんとかなると思います。
綺麗ごとだろって言ってる人はヒノキのにおいのするバスクリンでも入れて風呂に入って温かくして寝てください。
後悔の無い時間を過ごすために
俺は俺の好きなようにやる!!
これ自体は全く間違っていないと思います。むしろ健全。笑
ただし個人主義というのは「自分だけ大切にする」ではなく「自分を大事にしたうえで他人も大切にする」というものです。
難しいですね。
もし地球上に私以外の家族や友人が居なくなってしまったら、私はまた誰かと友達になろうとするでしょう。
しかし、周りにどれだけ人がいようとどこに所属しようと「自分は孤独だ」と思う人は孤独のままです。
一人で自分のしたいことに没頭しているときに孤独を感じますか?
孤独とはそういうものです。
この孤独との付き合い方を間違えてしまうと居心地の悪い場所にも執着してしまったり、本当に必要な人間関係を見極められなくなったりします。
孤独であれ、という事ではありませんが、孤独は忌むべきものではないということ。
認識の間違った孤独は時間と共に人間を狂わせる。
これだけは回避できません。時間による精神の摩耗です。
実のところどんなに鍛えぬいたとしても人間はそんなに強くないんだと思います。
必要とされたら誰でも嬉しい。他人に頼ることが下手糞でどんどん他人を遠ざけてしまう人も、一風変わった方法でしか自分を表現する事ができない人も、指針が無いと決められない人も、誰もが理解者を求めている。
ただ、居心地の悪い場所を大切にしているのは自分の時間を他人に売っていることに他ならないと私は考えます。
1年の終わりとして、資産と負債を整理しましょう。
整理をするときに大切なことは
本人と向き合わずに他人からの評価でその人の価値を見積もらないこと
自分の脳でしっかりと考えて付き合う人間を選ぶこと
善か悪かの二極ではない
というところです。
最後のこぼれ話です。京都には安井金比羅宮というとんでもない縁切り、縁結び神社がございまして、途方も無くお悩みの御仁、効果なんと折り紙付き。げに恐ろしく由緒正しき縁の神社にございまする。正しく祈らば穴二つ。 大晦日(おおつごもり)の旅先に。
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