私はこんなブログを書きたいわけじゃない

【日常と思ったこと】, エッセイ・哲学エッセイ, ブログ

ブロガーのなら多分一度は絶対に経験したことがあると思うこの感情。

そう、私はこんなブログを書きたいわけじゃない。

じゃあどんなブログが書きたいんだい?だと聞かれてもそれもわからない。ただなんとなく書いているうちに文章が乱れ、日本語が正しくないような気がしてきて下書きに放り込んだままオチを書いてもらえることも無くなった文章たちが眠っていたりする。

インターネットに一度放流してしまえば消えない文章になる。しかしそれが認識できるのもせいぜい自分が生きている間で、死んだ後に黒歴史だのなんだの笑われても本人には届かない。

そしてこれは無料ブログでは無いので魚拓でもない限りずっと普通の人の目に映る場所に残存しない。

しかしなぜか何となく日々言わなくても良いことが存在するように、まとまらない文章が沢山存在し今日も私の脳を悩ませている。頭をという表現の方が適切だろうか。しかし考えているのはまさに脳である。なぜ頭と言う表現になったのだろうか…。

私の中のJKが「脳よりも頭の方がなんとなくカワイイから」って言ってたのでそういうことにしてしまった。

世の中にある「何となく」を全部証明していたらキリがない。答えなんか無いと分かっていても本棚を整列するように自分の中で納得するまで回答を求め続ける。精査する。

そうしてマックのてりたまが食べたいと言う願いすらもかなえられずに一日が終わる。

考えることは毒である、と言える程には眠れない夜を経験した。

「前日に言ってた○○と今日の××では矛盾してない?」という理詰めをやってしまう可愛くない女は仕事とブログだけにしようと最近心に決めた。矛盾してたって気にしてはいけない。それが多分人生をうまく生き抜くコツで、先輩たちもみんなそうやって生きてきた。だから私はブログを書いているのか?なんとなく違う気がする。

日々新しい思考が流れ込んでくる。

だから文字を書くと落ち着く。文章を読むと落ち着く。思考のスピードよりも遥かに遅い行動だからと思ってはいるが脳科学者ではないので実際は分からない。

考え事の内容はほとんど哲学的、精神的、社会学的、時事や怠惰からくる効率化の内容でネガティブな事象の反芻思考の強迫概念とはまた違う。考えることが好きなのだ。

生きていく中で好きなものをたくさん拾い集めてきたが、考えることが追加された。これも大切に持っておこう。

こんな変わった人間はきっとブログを書くに限る。だから私は今日もくだらない持論と講釈を垂れる為に筆をとる。

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